カップを手にしなかった午後
東京のカフェ、午後三時ごろだった。窓の外では街路樹が低く揺れ、カップの中ではイルガチェフェが冷めかけていた。スマートフォンの画面には、韓国の新聞のコラムが一つ浮かんでいた。ある経済学教授が、エチオピアのコーヒー等級システムに倣って韓国の入試制度を改めるべきだと書いていた。 コラムを読む間、私は一度もカップを手にしなかった。 文章はすらすらと読めた。エチオピアは貧しいがコーヒーの等級においてだけは世界最高であり、おかげでその国の豆は信頼されている。韓国の入試もこのように政治的配慮を退けた客観的なシステムになってこそ、青年の能力は正しくシグナリングされ、企業は安心して採用できる。ノーベル賞を受賞した理論が呼び出され、現代(ヒョンデ)自動車の広告費が例として置かれる。 読み終えてから、しばらくじっと座っていた。同意していないことは分かっていた。しかし、何が自分をこれほど長く引き留めているのか、正確には分からなかった。 カップを手に取り、一口飲んだ。冷めたコーヒーは、果実の甘みが少し際立つ。 このカップの中の豆がエチオピアのどこから来たのか、バリスタが私に短く説明してくれた。農園の名前、海抜高度、加工プロセス。こうした情報は、スペシャルティコーヒー市場が過去20年間消費者に提供してきた透明性の言語である。この透明性は、「あなたが飲むコーヒーの後ろには、実際の人の労働がある」ということを知らせることに成功した。そして、それを知らせる瞬間、奇妙なことが起こる。労働が現れるが、その現れ自体が消費の一部となる。私は農園の名前を聞きながらコーヒーを飲み、その名前がコーヒーの味わいをさらに豊かなものにする。 コラムの中のエチオピアには、こうしたものが無い。等級システムの厳正さだけがあり、そのシステムが等級をつける豆を誰が育てたのかはない。国民の25%がコーヒー産業に従事しているという一文が、一度よぎるだけで、その25%の顔は見えない。 カップの中の豆と、コラムの中の豆は違う豆だ。私はどちらのほうに近いところにいるのだろうか。答えるのは難しい。 だが、コラムが豆の横に置くのは、別の豆だけではない。青年がそこに一緒に置かれている。どちらも等級がつけられなければならない。客観的に判別されなければならない。システムが正常に作動してこそ、真っ当な値打ちを受ける。この比喩がなめらかに読めるのは、その比喩がすでにずっと前から私たちの言語の中に入り込んでいるからだ。 人材という言葉を考えてみる。人間という材木。建築物に入る木材。私はこの単語を小学生の頃から聞いていた。ただ、その時の言語はもう少し入り混じっていた。一生懸命勉強して立派な人になれという言葉、医者や弁護士になればいいという言葉、プルパン — 今川焼きに似た屋台菓子 — を売っていた人でさえ大統領になったのだから君たちにもできるという言葉、そのように成功して国に貢献せよという言葉。これらの言葉は互いに区別されないまま、一つの束として伝達された。自分自身のために勉強することと、国のために勉強することが、同じ行為の違う顔のように見えた。 コラムの著者は、青年を直接材木とは呼ばない。しかし、彼の文章のどこにも、青年が自らの生の主体として登場することはない。青年はシグナリングすべき能力の担い手であり、企業が採用に踏み切りかねる対象であり、国家がうまく判別できなければ失業率として記録される数字である。文章の主語は常に国家か企業であり、青年は、それらの主語が扱うべき客体である。 この文法は、コラムの著者が発明したものではない。私もこの文法の中で育った。私が勉強した理由の一部は明らかに、良き人材になりたかったからだ。 その文法の中で育ったのは、私だけではない。 東京に来る前、ソウルで友人に会った。三十歳。良い大学を出て、数年職場に通ってから退職し、今は転職の準備をしている。コーヒーを飲みながら、彼は言った。「でも最近は、自分が何を間違えたのか分からない。ちゃんと頑張ってたのに。」 私は何と答えるべきか分からなかった。「システムが問題だ」と言うのはあまりにも簡単であり、「お前が間違えたわけじゃない」と言うのは彼がすでに聞いてきた言葉であり、真実はその二つの間のどこかにあるようだが、正確にどこなのかは分からない。 コラムの著者は、この友人のような人々に答えを与える。「あなたの努力が正当に評価されなかったのは、評価システムが揺らいでいたからだ。システムを復元しよう。」この言葉は慰めの形式をとっているが、実は友人の怒りを再び同じ体系の中へと引き戻す。正しく名指されたかった人に、より正確な名前をつけてやると約束すること。 しかし、友人が望んだものは、本当により正確な名前だったのだろうか。彼が「頑張ってたのに」と言った時、その文章の後ろには何があったのだろうか。認めてほしいという要求だったのか、それとも、認めてもらえなくても大丈夫だと、誰かに言ってほしかったのだろうか。 私は彼に尋ねることができなかった。 日本の青年たちについては、別の話を聞く。勤続年数が短くなり、転職してこそ月給が上がり、企業が家族だという言葉を誰も口にしない。 一時期、その話が少し羨ましかった。羨ましさの正体が年収でも転職の機会でもないことは、自分でも分かっていた。企業が青年を家族として扱わなくなった場所、その空いた空間が羨ましかった。しかし、その羨ましさは長くは続かなかった。そこの青年たちが転職へと追い込まれる理由は、その会社に残っていれば実質賃金が目減りするからだった。呼びかけが取り下げられた場所に立ち現れたのは、別の形の強制だった。 中国の技術的台頭を扱った記事を読んでいると、繰り返される文章がある。中国の発展に貢献したいです。理工系進学ブーム、半導体の自立、青年研究者たちの動向。背景が違っても、学生たちの言葉は、しばしばその一文のまわりに集まってくる。この文章を冷笑して押しやることも、羨望として引き寄せることも難しい。私が幼い頃、一生懸命勉強して国に貢献せよという言葉を聞きながら感じていたものも、もしかするとあれとそれほど遠くはなかった。 三か国の青年たちが、同じ問題を異なる時間帯で生きているようだ。一方では呼びかけが取り下げられた後の空気が吸われている。もう一方では、その呼びかけが再び熱くなっている。韓国はその間のどこかで、呼びかけは残っているのに、呼びかけが約束したものは到着しない場所にいる。 誰がより自由だとか、誰がより目覚めていないとか、誰が最も苦しいとか言うのは難しい。三か国はそれぞれの時間の中で、それぞれの方式でこの問題を生きている。 そのすべての思考が、一杯のコーヒーと一篇のコラムから始まったということが、あらためて奇妙に思える。カフェを出ながら、私は、自分が正確に何によってそのコラムにこれほど長く引き留められたのか、まだ語ることができない。青年を豆に例えたことが不愉快だったと言うのは、あまりにも簡単だ。エチオピアを道具として使ったと言うのも正しい言葉だが、それだけでは何かが足りない。 おそらく私が居心地悪く感じたのは、そのコラムの言語が私にとって完全に耳慣れないものではなかったからだろう。私はその言語の中で育ち、今もその言語の一部を自分の中に持っている。認められたいという声、正当に評価されたいという声、自分の努力は意味があったと誰かに言ってほしいという声。これらの声は、コラムの著者が私に差し出す誘惑に対して、最も脆弱な地点である。 その声たちを否定すべきだとは思わない。否定したところで消えもしない。ただ、その声たちが唯一の声ではないかもしれない。それとは少し違う方式で、自らの生を名指すことのできる言葉が、どこかにあるかもしれない。私はそれを、まだ知らない。



